鎌倉の英語・フランス語・イタリア語の教室

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ラ・プティット・エコールの理念

外国人とのコミュニケーションで、もっとも必要とされることは、「心」です。流暢な外国語を話せなくても、一生懸命伝えようとしてくれる姿から、言葉は違っても通じ合えるときもあります。相手を理解したい、自分の考えを伝えたいという思いは自然と表現されるものであり、それが相手の心を開かせるのです。

私たちの願いは、外国語を学ぶみなさんに、外国語を学びながら、言葉の壁を越えた人間関係を築く方法を身につけてもらうことです。そのためには、まず、心を開き、自分にはできないという思いこみを忘れて、外国語を使ってみてください。相手にとっては、文法上の間違いよりも、あなたが何を話したがっているのかが重要であり、理解しようとしてくれるはずです。

また、外国語を学ぶ上でとても重要なのは、辞書に頼らないことです。辞書をひくと、単語の意味がたくさん出ていますが、これを暗記しただけでは、理解したことにはなりません。言葉のもともとの意味、そこから派生した使われ方を知ると、辞書だけでは知りえなかった考え方、表現方法を学ぶことが出来ます。当校では、外国語をただ単に知識として勉強するだけのものではなく、あたらしいコミュニケーション手段のひとつとして、外国語を感じることができるようになるように導いていきます。

*言語を学ぶこと:異なる考え方、異なる文化に触れること*

幕末から明治の開国期、外国人の来日とともに、日本には、多くの新しい技術と新しい語がもたらされ、このことが日本語に大きな改変をもたらしました。

考察と分析に大きな努力が払われ、数知れぬ試行錯誤の末に、machine「機械」société「社会」psychologie「心理学」といった、今日の日本語では日常的に用いられる言葉が翻訳されました。

当時新しかったこれらの言葉のなかから、photographie「写真」とoptique「光学」という2語について考えてみましょう。

日本語とフランス語は同じことを意味していると考えるかもしれませんが、実は相互に対応していません。それどころか、それぞれの語源に従えば、相反する視点を示しているようにさえ見えます。

「写真」という日本語は「真実を写す」「真実が写される」ことを意味しているのに、フランス語のphotographieには、その行為の主体である「光」phosという語が含まれています。「私は太陽が私のかわりにさまざまなイメージを描くよう強いた」と、写真の発明者ダゲールは言いました。

同様に、日本語の「光学」とは見られる対象である光についての科学を意味していますが、フランス語のoptiqueとは見るという行為を行う目についての学を意味します。

このような例からは、日本人と西洋人の視点が相互に対極に位置していることが分かります。あえて強調するなら、2つの語は、対極的な認識をあらわす2つの認識とも言えます。偶然かもしれませんが、西洋人は日本という国を長い間「対蹠地」antipodesと呼んできたのです。

さて現在ではどうでしょうか?グローバル化した社会の中で「対蹠地」といった捉え方は消滅しましたが、日本人の認識と西洋人の認識には正反対の関係にあるものがあることに変わりはありません。特に言葉については枚挙にいとまがないほどです。

たとえば、日本人の学生は先生に対して「説明していただけますか」と、自分を受け身にして尋ねますが、フランス人の学生はpouvez-vous m'expliquer? 「あなたは私に説明できますか」と言うでしょう。

さらに、西洋の言語における冠詞の使用は、文の意味や主題を理解しようとする際に、しばしば厄介な問題をもたらします。日本語では、「りんご」は「りんご」でしかありません。フランス語では「りんご」であっても、une pommeとde la pommeでは二つの異なる事柄を指します。部分冠詞de laによって示されるmatière「物質」という概念は、一見したところ、日本語で理解することが非常に難しいのです。

もちろん、こうした難しさがあるからといって、フランス語を学ぼうとする皆さんをがっかりさせようとしているわけではありません。言語の形が違っても、私たちは互いに気持ちを伝えたり、意思を伝えたりすることができます。

ただ、そのためには、文法や語彙を学ぶだけでは不十分です。その国の人について、あるいは考え方や文化について少しでも触れることが重要です。ラ・プティット・エコールでは、言語を学習しながら、文化や考え方の違いに触れる機会を生徒さんたちに提供しようと日々努めています。